エネルギー管理士インタビュー <第1回>        田中茂男さん (三重県)

エネルギー原単位の50%削減には、大きな達成感があった


エネルギー管理士インタビューの記念すべき第1回。1979年の省エネ法制定/施行と同時にエネルギー管理士となったエネルギー管理士歴約40年の田中さんを取材させていただきました。

全国エネルギー管理士連盟・田中茂男代表理事の写真
全国エネルギー管理士連盟・田中茂男代表理事

 

田中茂男さん

三重県四日市市生まれ

東京理科大学理学部卒業

 

四日市市に本社のある江南化工株式会社の技術部門にて、研究開発・設備設計・エネルギー管理士として活躍され、同社の取締役技術部長を務めた後、60才から同社の執行役員、62才から現在まで同社の顧問を務める。

 

現在は、江南化工・顧問の他にも、

  • 全国エネルギー管理士連盟の代表理事
  • 愛知県・省エネ推進ネットワークへの参加
  • 三重県・地球温暖化防止コミュニケーター
  • NPO法人国際資源活用協会理事

として地球温暖化防止活動に尽力されています。


― 早速ですが、田中さんがエネルギー管理士になった経緯を教えていただけますか。


(田中さん) もう40年くらい前ですが、法律ができたんですよ、省エネ法が。私が勤める江南化工もエネルギー管理指定工場として、誰かがエネルギー管理士にならないといけなくなりました。それで、当時、30代前半の私に白羽の矢が立ったんです。

 

― 他の方ではなくて、田中さんだったんですね。


 (田中さん) 技術部の中で、年齢的にも知識的にも私が適任だったのだと思います。そんなに大きな会社ではないので、人がたくさんいるわけでもないですし。

 

― 当時、技術部門でどんな仕事をされていましたか?

 

(田中さん) いろんなことをやらせてもらいました。研究開発が1/3、設備関係が1/3、残りの1/3が法律関連・公害対策・エネルギー管理という感じでした。


全国エネルギー管理士連盟・田中代表理事の写真
インタビューを受ける田中さん

 ― 当時のエネルギー管理の仕事はでどうでしたか?
 
(田中さん) 今では、エネルギー原単位を1%削減するだけでも大変ですが、当時は毎年5~10%の削減をしていました。

 

― 特に記憶に残るプロジェクトはありますか?

 

(田中さん) 原単位を50%削減したことがありました。


工業炉削減の話を熱く語る田中さんの写真
工業炉削減の話を熱く語る田中さん

― どうやって?

 

(田中さん) 16台あった工業炉を2台に減らしたんです。
 
 ― それは、すごいですね。

 

(田中さん) セラミックファイバー、高輻射燃焼条件確立など、いろんな技術を取り入れました。構想から実現まで2~3年はかかりましたね。

 

面白いのは、エネルギーを削減するために炉の数を減らすと、生産方法だとか工場そのもののあり方がガラっと変わるんですよ。


全国エネルギー管理士連盟・田中代表理事の写真
当時を振り返り、とても楽しそうな田中さん

― それで、どうして、炉を減らそうと?

 

(田中さん) 工場で働く人達が熱いって言うんでね。それで、エネルギー削減のターゲットとして目をつけたんです。

 

― 実際にやってみて、どうでした?

 

(田中さん) 当時の上司から、「おまえが責任を負う範囲を超えてるんだぞ。本当に大丈夫か?」と言われていました。自信はあったんですよ。でも、実際にうまくいくまではドキドキしました。そして、成功したときには本当にうれしかったですね。
削減分は会社の利益になるわけですし、社会のためにも良いことだと思うのですが、それよりも、ただ単純に達成感がありました。自分が考えたとおり削減できたことに。


全国エネルギー管理士連盟・田中代表理事
炎天下の公園にて

― これからは、どのようなことを?

 

(田中さん) 地球温暖化対策に関わっていきたいですし、エネルギー管理士としては全国エネルギー管理士連盟を盛り上げていきたいですね。

 

― その理由は?

 

(田中さん) せっかくエネルギー管理士の資格を持っていても、それを活かせずに埋もれている人達がたくさんいると思うんです。そういう人達に、こういう会に参加して情報交換をしてもらって、人と人が接触して自分の活躍の場を見付けて欲しいですね。

(編集長) 田中さん、本日は取材に応じていただき、また、炎天下での写真撮影にもお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。

<2018年7月20日掲載>